嘗ての人類なら50年〜100年、いや千年・万年の間隔を置いて進歩・進化して来た筈の文明の発展速度・テンポが、此処へ来て僅か3、40年と云う、個人の一生よりも短い期間内に、非人間的な加速度で、結果的には人間の方が新文明に振り廻される格好の規範無用の厚顔・破廉恥さで押し寄せて来た。
(シリコンやセラミックに代表される如き【超石器時代】=IT文明に呑み込まれ始めた。)
小学校に入った頃には、お月見団子を御供えしていた十五夜兎さんに、大学に入った頃には月面着陸していた。瞬きもせずにテレビジョンと云う物に吸い寄せられた初体験は10歳前後だった。もしも此の世に”テレビ電話”が在ったならと、家に電話も無いのに夢想していた初恋は、今や若者の全てが携帯しているetc.etc数え上げたらキリが無い。小学生の頃、白黒テレビで仰天して見て居たアメリカのホームドラマの夢の様な豊かさ(実はカラー番組だった!!)一時の日本人は其の夢さえ越えて居た。一家にテレビは2、3台。自家用車だとて2台以上の家が殆んど。クーラー・薄型の大画面テレビ。リール式テープレコダーや 8 ミリ映写機などなど”過去の遺物”と成り果てた諸物は数知れず。余りにも次から次へと進歩(変化)し過ぎたものだから、今となっては遺棄された全ての物どもを思い出す事すら覚束ぬ有様・・・!!子供心にも 「買って欲しい」とは言えぬ 幾度かの体験。中学校に入る迄は、ほぼ全員が《ツギ》の当った服を着ていた・・・・でも子供達は皆んな平等で一緒に遊んだ。
嘗ての人類なら50年〜100年、いや1000年の間隔を置いて進歩・進化して来た筈の文明の発展速度が、此処へ来て僅か3、40年の短期間に、非人間的な加速度で、規範無用の厚顔・破廉恥さで押し寄せて来た。ちなみに筆者は、所謂”団塊の世代”の最後の一員に属する。その我等は (2007年の) 今60歳前後だが、嘗て如何なる国民・人類も体験した事の無い、猛烈なる文明の進化攻勢・大変動・大激震に「曝されて来た」者達で在る。そして辛うじてパソコンにも手を出し得た ”最後の世代” でも在る。斯く言う筆者も54歳で初めて自前のPCに臨んだ・・・で、つらつら慮んみるに、人類は初め文字を竹簡や粘土板などに書いた。歴史の国・中国でも其れは「青史」、即ち竹簡に記された。陳寿が人類史上初めて紙に書いた「正史」が『三国志』であり今から約1800年前の事で、爾来人類は紙=本を通して知識を貯え伝えて来た。1949年生まれの筆者も、それ迄の人類同様に、文章は紙に書き、知識は本から得る事を当然として半生以上を送って来た。だから本書三国統一志も最初の7千枚くらい迄は400字詰めの”原稿用紙”なる紙に筆で手書きしてもので在った。処が今や筆者は直接パソコン画面に文字を入力して書き上げて居る。・・・・即ち
本書・三国統一志は 人類が最後に紙を用いて書いた歴史書で在り、 同時に亦それは、紙に別れを告げ人類初の インターネット文字書籍(テキスト)による 歴史書 と 成る ので在る!!
何とまあ大袈裟・大仰で、手前勝手な言い草よ!!と顔を顰める諸氏も在ろうが、筆者個人としては、それ位の鼻息(テンション)で毎日に臨んで来て居る。
いずれせよ、今(2007年7月時点)から僅か10年前には考えられぬ”事態”である。殊に個々人が気軽に己の創作・絵や文章などを世の中、いや全世界に発信公表できるなぞ夢想だに し得無かった現実である。 いつの日にか 後世から観た場合、こうしたメモは面白い参考史料にでも成るのだろうか??
それにしても凄まじき文明の進捗テンポだった!!よくぞ対応して来たものだ、なぞと我ながら悦に入っては居られ無い。今にして思えば、恩恵を得て来たと思って居た事が、実は 不要・無用なモノだったり、寧ろ 人間を疎外する方向に向いて居たなどと気付き始めたのだが、もはや時すでに遅し!!・・・・の観も否めない。 そんな世相を生きて来た筆者では在るが、敢えて「恩恵を被った」 とは 謂うまい。何故なら今、果して自分は幸せに成ったのか??それ以前の世の中より素晴しい人生や社会に成って居るのか?? 確かに一時的には蜃気楼の如き錯覚を味わった。全ての者が己を(中産階級では無いが)中流である!!と想って居た。が今や小中学〜高校生の頃より確実に暗い世の中に成っている。貧富の差の激しい、嫌な、危険な、戦前時代へと後戻りしている。片田舎の真夜中でもコンビニが開いている。(その一方で、嘗ての”銀座通り”はゴーストタウンと化して居るが・・・)
・・・嗚呼、何たる様か!!・・・すべて自業自得なのだが、口惜しい。申し訳無い。結局、単なる傍観者でしか無く、墓穴を掘る為に一生を働いて来た事と成る・・・何故こんな事態に至ってしまったのか!?その慙愧と懺悔・贖罪の意識こそが、筆者に畢生のライフワークの方向性を示しているのだが・・・
そんな昨今の某日の事・・・〔日本で1番長い校歌を持つ高校〕の同窓会から、110周年記念会報の原稿依頼が来た。早い話が「変人特集」を組むので協力せいとのお達し?指を折ってみたら4本折れた。・・・40年・・・は流石に重い。で、原稿の最初と終りに詩を置いた。自分が50歳を契機に「三国統一志」を書き始めた折の心境(りんどうの詩)と、最後は曹操の『歩出西門行』の1節・・・・
〔××××高校 同窓会報原稿〕
志在千里 烈士暮年 壮心不已
横内 凛童 (71回生)
りんどうは花ひらかぬが美しい/童のままこそ愛しい/ひと知れぬ高みに在りてただ独り/
短き季節 凛と咲く/ 気高き想い抱きつつ/精一杯に 隆と咲く/ 訪なう人無かろうと/
唯一輪 凛と咲く/群青の色深く 碧は濃きを極める・・・
これは小生が50歳を迎え、小説『三国統一志』を書き出した時の心境である。それまで他者と眼一杯関わって来た。己と向き合っても好いだろう。で爾来8年続き、何時の間にやら原稿用紙だと1万枚に近い。5年経った頃にパソコンやHPなるものの存在を知り、面倒臭く無くて好いや!と公開し続けて居る。
但し常に《お前、そんな事やってる場合か!?》と云う後めたさを宥めながらである。だが一方では《兎に角やれ!》と云う天の声?まあ面白いから、ついつい夜昼寝食も無頓着の創作三昧。5〜6時間は当り前で一瞬の裡に過ぎてゆく。
蓋し其れは《永遠》に繋がる《己の生きた証》なのだろう。人間としての 深みや 内面の充実は寧ろ60過ぎてからこそが本物なのだと思う。本当に書きたいモノは他に在る。
道は未だ遠い。我が主人公の1人、曹操孟徳いわく・・・
老驥伏櫪/志在千里/烈きおのこは老いにしも/壮き心の已む事はなし!/である。
・・・で・・・会報原稿を書き終わってから、ふと、ハタと思った。アリ?もしかして、この2つの詩賦、同んなじ様なコト謂ってるかもナ・・・・まあ、コチ虎は随分と”ちんまく”女々しい限りではあるが、そう謂ゃあ、チト似た面も有るのかなあ〜???
老驥伏櫪 老いたる驥は櫪に伏すも
志在千里 志こそ千里に在らん
烈士暮年 烈き士は暮にしも
壮心不已 壮き心の已む事はなし
神亀は長寿と雖も 猶お 竟る時 有り 騰蛇は霧に乗るも 終に土灰と為る
老騎は櫪に伏すも志は 千里に在り 烈士は暮年となるも 壮心は已まず
盈縮の期は 但だ 天に在るのみならず 養台の福は 永年を得べし
幸甚だ至れる哉 歌いて以て 志を詠ぜん
《アレ?是って、もしかして根が同んじか!?》と云う事なのだ。「りんどうの詩」は筆者が未だ三国統一志の題名を想い着いた頃、曹操の事も其れほど深くは自覚せぬ時期の作なのだ。不肖『りんどうの詩』も、志在千里 烈士暮年 壮心不已も(スケールは段違いだし、此方は専ら女々しいのだが、それでも尚)気宇・気持だけは同根なのだ!?
・・・と思わず独り合点して、自己陶酔に浸る筆者なのでは在りました。
で、さて・・・本書『三国統一志』の現在と今後についてであるが、筆者の近況ここ1年は兎に角「ヒデエ〜モン」だった。 100m11秒5、ベンチプレス200kg。片腕で50キロのバーベルをひょいと差し上げ、駅の階段なんぞは3段飛ばしだったポテンシャルは、58歳の現在、既に見る影も無く消滅。こう成ってみると、これ迄の目茶苦茶な執筆態度は余りにも苛酷に過ぎた様だ。だから第2部の完結も想定より丸1年分遅れてしまった。然りながら、筆者自身が蘇生復活せねば事も進まぬ。・・・・で
愛読者カウンターの指数が 100万を超える迄は 雌伏し、それを合図に再び打ち込みを開始しようと思って居る。 半年先か?1年先か?2年先なのか??・・・その日まで 『三国統一志』の【第3部】は 封印する。但し、リタイアは絶対しない。まあ、ボチボチと第1部と第2部の推敲は続けよう。
なお第3部の内容は、これまで常に省略されて来ている隠れた部分=魏志(2代・曹丕〜3代・曹叡)と呉志(孫権の後半生〜晩年)に相当する、一般の読者諸氏には新鮮な三国志・・・謂わば、『誰も描かなかった三国志』に突入する事となる。 乞う 御期待!!
恐らく筆者は其の期間に、範疇の異なる3つの作品を同時に書き進めてストックしてゆくで在ろう。その発表の方法などは未定だが、畢生のライフワークに成るであろうか?
尚、今更ながらに 申し上げる迄も無い事だが、筆者をして 蘇生復活せしめ得た(得る)ものは、偏に読者諸氏の無言の励ましであった(ある)。改めて深甚なる感謝の意を表して置きたい。 (e-mailで直接の言葉を下さったり、同窓の教授・文学博士の何人からは推挙人の申し出も在ったが、その使用は有り難く御断りさせて戴いた。)とまれ、
いずれ又、皆様方とは再会いたしましょうぞ!!
では期して待つ、再見の日を!!
”07年7月7日